1 :
あなたのうしろに名無しさんが・・・ :03/05/21 13:57
立てますた
11 :
11:03/05/21 21:15
癌で入院していたじいちゃんのお見舞いにいった。
病室にはばあちゃんや親戚も来ていた。
しばらくして帰ることにしたが、なぜか車のエンジンがかからない。
知り合いに車の整備の仕事をしている人がいたので来てもらうように頼んで、
とりあえず病室に戻ることにした。
病室に戻ると、じいちゃんの容態が急変していた。
非常に危険な状態だった。
医者は「覚悟してください」と言った。
様々な処置が行われるなか、
ふと、ばあちゃんがじいちゃんに語りかけはじめた。
今までの思い出、感謝の気持ち・・・・。
12 :
11 :03/05/21 21:19
医者は「意識がないので聞こえませんよ」と言った。
ばあちゃんは続けた。
医者もそれ以上は何も言わなかった。
すると、じいちゃんの閉じたままの瞳からたくさん涙があふれてきた。
じいちゃんは涙を流し続け、やがて息を引き取った。
帰る頃に知り合いが到着したので車を見てもらったが異常はなく、
さっきはどう頑張ってもかからなかったエンジンがあっさりかかった。
じいちゃんはさみしがりだったから、引き止められたんだと思う。
最期を看取ってあげることができてよかった。
16 :
あなたのうしろに名無しさんが・・・ :03/05/22 03:39
女の話で盛り上がり夜遅くまで喋っていた間近に結婚を控えていた友達。
次の日はお互いほとんど寝れずに会社に行った。
その日帰ってみるとその友達の妹(知り合い)から留守電が入ってた。
内容はその友達が会社でいきなり倒れて病院に担ぎ込まれたが
脳内出血を起こしていて意識不明でやばいという事だった。
彼はその2日後息を引き取った。
倒れる前日、友達が俺に言った「最近幸せすぎっから、そろそろ嫌な事ありそうで怖いわ」
この言葉があまりに切なすぎて、思い出すたび何とも言えない気持ちになります。
19 :
19:03/05/22 04:07
双子の姉がなくなった時のこと。
心臓を患い、最期は自宅で身罷った。30を過ぎたばかりだった。
亡くなった後、両親や旦那、年の離れた弟も、姉が夢枕に立ったらしい。
でも俺は一度も姉の夢を見なかった。
双子で、小さい頃から一緒に育ってきて、ある意味一番近い存在だと思っていたのに・・・。
亡くなる少し前にちょっとした口論をしたことで自分にも姉にもわだかまりがあるのか
そんな風に思うと悔やまれて仕方なかった。
20 :
19 :03/05/22 04:09
続き
四十九日法要の日。
読経が終わって自分も一礼し、頭を上げた時、左肩をポンと軽く叩かれたような感じがした。
俺の後ろには弟が、その横に母親が座っていた。
「今、俺の肩叩いた?」
「叩かないけど」
「お袋じゃないよね?」
「違うわよ」
冗談を言う状況ではなかったし、2人とも嘘を言っている様子もなかった。
「何か肩をポンと叩かれた気がしたんだけど」
母がぽつりと言った。
「最後に○○があんたに挨拶してったんじゃない?
長男のあんたに“後はよろしくね”って」
母親の言う通りだろうと思った。
肩を叩かれた感触は今でも忘れられない。
33 :
あなたのうしろに名無しさんが・・・ :03/05/25 19:14
祖母が死んだのが反抗期真っ只中だったから冷たく当たった。
最後のやりとりも思い出せない。
ジュース買ってきてって言われて嫌そうに行ったら「それあげる」って
自分が立てないから私にあげられる物がないと思ったんだと思う。
それすらその頃はうざいと思ってしまって。
最期の日々は本当後悔してる。
祖母が死んだ事より後悔でかなり泣いた。今でも。
でも人前では泣かなかった。
冷たい子だって親戚に言われたけど事実だからこそ我慢した。
でも泣かないのも母を傷つけるのかな…なんて。
本気で好きじゃなかったと見えたら…。
44 :
1/2 :03/05/27 12:49
阪神大震災のとき、私たち(東灘区)のアパートはでっかいX印のひび割れが出来て、
外が見えるようになった。
慌てて夫の実家(兵庫区)に電話したら、義父がウチも外が見えてるが、大丈夫と
言ったので安心していた。
18日(翌日)になって漸く夫が様子を見に行ったら、2階建てのお店の2階の床が抜けて
いて全壊。
義父夫婦と同居していた親戚は近くの小学校に避難していた。
息子夫婦に心配かけないように大丈夫と言ってくれていたことが分かって、言葉も
出なかった(電話は奇跡的に無傷だった)
夫はそのまま義父・義母・親戚計5人をアパートにつれて帰って来た。
義母はいつもは元気いっぱいで、陽気なおかみさんそのままな人だった。
でも、アパートに避難してきた義母は、小学校で風邪をひき、店が全壊した衝撃で
別人のように落ち込んでいた。
何とか暖まってもらおうと思ったが、狭いアパートに合計9人がひしめき合い、
ガスも水も無い、それに近所の病院は重い怪我の患者や、検死待ちであふれ、
風邪の患者は診てもらえないのでのでどうしようもなく、翌日義父たちには
大坂の親戚に避難してもらうことにした。
45 :
2/2 :03/05/27 12:49
今から出ると言うそのときに、見送りに出た私と娘(当時幼稚園の年長)に義母が、
「Kちゃん、おばあちゃんあんたのランドセル買ってあげられへんかも知れないか
ら、今お金あげとくね」と言い出した。
義父も夫もびっくりして、「今だけやん、春まで時間があるし、大坂のデパートで
買ってもええやんか、それに避難先で何にお金がいるかわからんし」と説得したが
いつもはそうでない義母がどうしてもと言って、私にお金を渡した。
夫は「おかあちゃんが安心するならもらっておこう」と言ったが、義母は避難した
親戚宅で心臓発作を起こして亡くなってしまった。
おかあさん、ありがとう、ごめんなさい。あのお金はどうしても使えませんでした。
でも、今年中3になる娘の机の横には今でもおばあちゃんの買ってくれた、ピンクの
ランドセルがかかっています。
52 :
あなたのうしろに名無しさんが・・・ :03/05/29 20:59
>>あのお金はどうしても使えませんでした。
>>でも、今年中3になる娘の机の横には今でもおばあちゃんの買ってくれた・・・
ここんとこがよくわかりませんでした。
53 :
あなたのうしろに名無しさんが・・・ :03/05/29 21:48
>>52 上の娘さん、ということでは?
その娘さんが小学生になる頃はまだご健在だったでしょうから。
55 :
あなたのうしろに名無しさんが・・・ :03/05/29 21:57
>>52 おばあちゃんから貰った紙幣そのものは使うことができなかった
ってことだろ
形見みたいなもんだし
56 :
あなたのうしろに名無しさんが・・・ :03/05/30 01:33
大学3年の夏、バイクを買った。すごく気に入ってていつも磨いてたし、遠くへのツーリングも何度も行った。
大事にしてたので機械の調子は良かったのだが、4年の秋に卒業旅行の資金作りのため、泣く泣く手放すことに。
バイク屋に買取ってもらうために家を出る時、セルを何度回してもエンジンがかからない。
今までどんなときも一発でかかっていたのに・・・
「あー機械にも心はあるんだ。」と思った若き日の俺。
微妙なスレ違いでスマソ。
他にも、事故った日に限って、いつも持ってるお守りをウチに忘れてたりとか。
66 :
あなたのうしろに名無しさんが・・・ :03/05/31 17:22
会話じゃないけど親父が倒れて3日くらい意識不明だったんだけど
意識戻って(呼吸器つけてるから会話できず)翌日大学の講義あるから
1日2日下宿に戻らなきゃって時に、親父の手握って「ほんじゃすぐ来るから」って
言って握り返してくれたけど、2日後病院戻った時には又意識混濁で
そのまま逝っちゃたなぁ。あの時の温もりは何年経っても忘れられない
70 :
あなたのうしろに名無しさんが・・・ :03/05/31 19:51
弟(享年19歳)を12年前に事故で亡くしました。
亡くなったのが木曜日。その前の日曜日たまたま実家に子供と帰ってて
その時、いろいろ話したはずなのに全然覚えてなくて・・・。
その前に会った時は、車でどこかに送ってもらったんだけど
お気に入りのカセットがあるらしく、私に聞かせようとしてたのに
初心者だったんでハンドルがふらついて「危ないから止まってる時に探してよー!」と怒っちゃった。
結局、弟はカセットテープ探すの諦めてしまったんだけど、あの時私が探してあげて
どんな曲がお気に入りだったのか一緒に聞きたかった。ほんとに残念。
いつも会えると思ってると、ついつい邪険に扱ってしまったり、適当に聞き流したりしますよね。
本当は言葉の一つ一つだ大事な思い出になるんだな、と弟が死んでからわかりました。
弟が事故で死んだ時、実家の母もでかけてて連絡が遅くなって、一番最初に連絡のついた父が
救急病院に着いた時には「一足遅れでした」とお医者さまに言われたそうです。
あの時誰か1人でも連絡がついて耳元で名前を呼んであげられたら・・・。
朝、普通に出かけた人でも、あっけなく死んでしまうんですよね。
12年たっても、すべてが後悔ばっかり。
こんな思いはもうしたくありません。
76 :
あなたのうしろに名無しさんが・・・ :03/05/31 23:59
自分がまだ小学生の頃、叔父が父に電話をくれた。
何度も父が「え? え? なに?」を繰り返してるので、その会話は小学生
の自分が聞いても不自然だったので今でも覚えている。
電話を切った父は「なんだが兄貴が何言ってるんだかわからない」ってつぶやい
てました。叔父の方は電話を切ったすぐ後に「ちょっと頭が痛い。寝る」
って背広姿のまま寝てしまったそうです。大いびきにはっとして
叔母は救急車を呼びましたが、いちども目を開けることなく逝ってしまいました。
最後に話したのが弟(私の父)というのが不思議です
87 :
あなたのうしろに名無しさんが・・・ :03/06/04 20:30
入院しててあんまり具合もよくないのに体の自由がきく
ところまで出てきてくれて、笑いながら手を振ってくれ
たのが最後かな。「じゃね、また見舞いくるから」って
言ったらニコニコしながら「おぉー」って返事してた。
次の日、緊急手術したら容態が急変。年齢がイキすぎ
てて耐えられなかったようだ.
まったく臨終の場に立ち会えないでツライ思いをする
人も沢山いるけど、最後、お互い、笑い合いながら
手を振って別れを告げた瞬間はきっと忘れないだろう。
88 :
あなたのうしろに名無しさんが・・・ :03/06/05 11:04
おじいちゃんは私たちの住んでいるところから、
かなり遠くへ住んでいるので
危篤状態の時に、ひ孫を見せに行くような状態でした。
もう意識が朦朧としている状態なのですが、
私たちのことは、わかったようです。
どうしても子供と一緒の写真を撮っておきたかったので
病院のベッドの横に立って写真をとりました。
写真が出来上がって気がついたのですが、死の瀬戸際に
おじいちゃんは、ひ孫の横で、両手でピースマークを
作っていたのです!
頑固者で生真面目なおじいちゃんにしては
考えられないお茶目さで、写真を見て笑い泣きしました・・・。
94 :
あなたのうしろに名無しさんが・・・ :03/06/06 02:08
毎朝「また今夜ね」と飼犬に声をかけて出勤するのが日課だった
ある日たまたま声をかけなかった日があった
帰ってきたら
犬 が 死 ん で い た
声をかけてれば生きてたのかなー・゚・(ノД`)・゚・。
96 :
あなたのうしろに名無しさんが・・・ :03/06/06 02:34
死に行く日だからこそ、さりげなく、静かに別れたかったのかもよ。
それが無意識に、
>>94に伝わっていたとか…?
死期がくると、姿を消したがる犬タンもいるし。
122 :
122 :03/06/11 10:11
当時一ヶ月後に結婚を控えていた同僚に聞いた話。
子供が出来た事を結婚が決まっていた彼に伝えると、
「そうかぁ、これで俺が死んでも〇〇(彼女の名前)が生きていれば、
命は続いていくんだなぁ」
と嬉しそうに言われたそうです。
その時は縁起でもないと怒ったそうですが、
彼は次の日の新入社員歓迎会の帰り道、
車にはねられて亡くなってしまいました。
普段は殆ど酒も飲めない筈の彼が、
その日に限って浮かれていたんでしょうか。
酔い潰れて車道で寝てしまっていたそうです。
123 :
122 :03/06/11 10:17
同僚は何度も堕胎と自殺を考えたそうですが、
死ぬ前日の彼の言葉を思い出し踏み止まりました。
同僚の娘は今では5歳になりました。
私をおばさんとさえ呼ばなければ(w とっても可愛いです。
天国から見てるかな。
132 :
132 :03/06/14 23:05
弟、享年33歳
昨年8月交通事故で亡くなりました。
どちらかといえば仲の悪い兄弟で、弟との思い出といえば
取っ組み合いの喧嘩をしたことのほうが記憶に残っています。
弟が亡くなる1週間前の夜、実家に電話をかけたところ、
弟が電話に出ました。
他愛の無い会話の後、ひょんなことから電話で言い争いになって
しまい、普通なら弟が捨て台詞を残して乱暴に電話を切ってしまうのですが、
その日に限って「兄貴、すまなかった、気にしないでくれ。ちょっと
苛ついていたんだ。」
私も弟の意外な言葉に「俺も大人気なかった、気にしないでくれ、
また電話するよ。」と答えて電話を切りました。
135 :
132 :03/06/14 23:33
それから1週間たった午後のことでした。
取引先との商談の最中にマナーモードにしてあった私の携帯電話が
ブルブルと振動しはじめました。
会社からの連絡であればすぐに切れるはずなのに、いつまでも
振動し続けていたので、商談の席を外させてもらって着信先が
父であることを確認して電話に応答しました。
「早く、早く戻ってくれ。○○(弟の名前)が・・・・」
「○○(弟の名前)がどうしたんだよ!」
これはただ事でないと感じた私は、商談に同席した上司に
身内に事故があった旨を耳打し、取引先にお詫びの言葉を
遺して実家へと向かいました。
136 :
132 :03/06/15 00:18
ようやく実家につき、放心状態になっている父を心配して
残っていて下さった警察官の方から事故の状況説明を受けたあと
すでに棺に入ってしまった弟と対面しました。
何か悪い夢を見ているようで、不思議と悲しい気持ちにはなりませんでした。
通夜に見えた方々が帰り、父を休ませて、私一人で弟の棺の前で線香を絶やさない
様にしていました。
棺がカタッと音を立てたように思ったので、棺の顔の部分の扉を開けて
弟に「悪い冗談だぜ!」と声をかけると私には弟の顔が微笑んだ様に
見えました。
弟が生前に吸っていたショートホープを1本とって火を着け、
「お前には線香の煙は似合わない。」と言葉を掛けてそれを咥えさせてあげました。
絶対に忘れることの無い最後のコミニュケーションをとることとなりました。
長文、失礼致しました。
142 :
あなたのうしろに名無しさんが・・・ :03/06/17 03:38
俺が高1の時の話。
夏休みに突然、父が俺と2人きりで旅行に行くと勝手に決めた。
はっきり言って、全然乗り気で無かったが行く事となった。
行き先は母親の田舎だった。車で向かいながら、パーキングエリア
で寝泊りした。高1だったってのもあって、車の中で父と2人きり
で眠る事とかが、正直嫌だった。目的地に着いてからも、その近辺の
観光地のような所に行ったりしたが、俺はわざと単独行動を取ろうとした。
一つ覚えてるのが、父がある風景をバックに俺の写真を撮ろうとした時、
俺はメチャクチャ不機嫌な表情でカメラに写ったという事だ。
面倒だったし、何で写真なんか撮るんだよって感じでイライラしていた。
それから2年後、俺が高3の時に親父は癌で死んだ。
母が親父の荷物を片付けている時に手帳の日記を発見した。
そこには、俺との旅行の事が「これが最後の2人きりの旅行になるだろう」
と書いてあった。写真の事とか思い出して、マジ後悔した。
親父が死んだ事に関する強烈な思い出の一つだ。
最後のコミニケーションって訳じゃなく、ごめんなさい。
166 :
あなたのうしろに名無しさんが・・・ :03/06/18 23:42
高校生の頃、仲の良い友人が交通事故で死んだ
俺はそいつにCDを借りる約束をしていたが、そいつは約束を果さずに死んでった
しかし約束のことを親に言っていたらしく、後日そいつの母親が俺にそのCDを渡してくれた
「いつも息子と遊んでくれて有難う。」
葬式のときは実感が無く涙が出なかったの、そのCDを見て号泣した
今までで一番泣いた
今でもCDは持っているが一度も聞いていない
聞くと泣いてしまうと思うから
泣くと、あいつに笑われる気がするから
スレ違いかな?スマソ
186 :
あなたのうしろに名無しさんが・・・ :03/06/26 00:48
「また暇が出来たら遊ぼうねっ!」
事故で死んじまった友人…
無理矢理でも時間作るからまた遊びたいよ
193 : :03/06/28 02:24
ほんの2週間前、3年振りに祖母が訪ねて来た。
その日はあまり料理の得意でない私が下手ながら腕をふるったものの、
案の定レシピとは似ても似付かぬ料理が完成。 それでも祖母はおいしいと完食。
別れ際に
「また来るね」
「また料理作るね」と言葉を交して別れた。
先週、脳こうそくで祖母が急逝。本当に安らかな死に顔を前に、下手でももっと料理作ってあげたかったと涙が出た。