1 :
☆ばぐた☆ ◆JSGFLSFOXQ @☆ばぐ太☆φ ★ :2011/04/06(水) 11:47:24.10 ID:???0
・法医学者は遺体確認のプロだ。宮城県で警察に協力して遺体の検案に当たっている
法医学者の男性が、「何が起きているか、事実を伝えたい」と重い口を開いた。
◇
その日は被災地の小学校の体育館だった。天井からつるされたブルーシートで仕切られ、
玄関側で警察官や法医学者が遺体の検視、検案を行う。ステージには身元の特定された
遺体がひつぎに入れられ、家族との面会を待っていた。
教室から持ってきた机を並べて作った即席の検視台に遺体が乗せられる。泥や枯れ草は、
警察官がわずかな真水を使ってぬぐってくれた。東北の寒さが、今はまだ遺体をきれいに
保っていた。
体育館に並ぶ遺体は100体。遺体を見慣れた法医学者の自分でさえ、感覚がまひする
被害の大きさだった。
ステージから常に遺族の泣き声やおえつが漏れていた。必死でこらえる声、運命を呪う声、
ぶつける先のない怒りの声を聞きながら「冷静な科学者でいなければ」と必死に自制した。
しかし、自分の娘によく似た小さな遺体を目にしたとき、涙をこらえられなかった。大切そうに
抱えていた緊急持ち出し袋には大量のレトルト食品が詰め込まれていた。持って走るには、
きっと重過ぎただろう。
宮城だけで毎日100人以上の遺体が見つかっていたが、身元確認は遅れている。
骨の形状を読み取るエックス線撮影やCTはもちろん、歯型の写真さえ撮れていない。
震災から3週間がたった。少しずつ損傷の激しい遺体が見つかり始めている。身元確認は
どんどん難しくなるが、必要な情報収集ができていないのが現状だ。
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110406/dst11040608550016-n1.htm 15 :
名無しさん@十一周年 :2011/04/06(水) 11:53:14.18 ID:2pBYK5st0
子供って親に言われた事をどんな時にでも実行しようとするから
地震の時には緊急袋もって逃げなさいって言われていたんだろう
親がこの子を見たときになんて思っただろう
かわいそう
20 :
名無しさん@十一周年 :2011/04/06(水) 11:55:30.92 ID:gek2tmG80
多分、緊急袋を持ってなくても、逃げられなかったよ…。
34 :
名無しさん@十一周年 :2011/04/06(水) 11:57:57.68 ID:anOlyVnJ0
毎日100人・・・
直接災害には遭ってないけどこういうのを目の当たりにし接触してる人間だけPTSD認めてあげなよ
カメラ回して見たとかテレビでニュース見てただけの奴なんかがPTSDとか言ってるとふざけんなと思う
53 :
名無しさん@十一周年 :2011/04/06(水) 12:01:34.32 ID:RWAGLvg+0
逃げる時は後先考えんなって教えとけと言う事だろう
63 :
名無しさん@十一周年 :2011/04/06(水) 12:02:30.38 ID:rOeFT1jU0
きっとレトルト食品が軽くても助からなかったんだ
でも、助かるつもりで食品持ってた姿が寂しい
69 :
名無しさん@十一周年 :2011/04/06(水) 12:03:00.40 ID:I/dRuV770
『墜落遺体』の世界だな・・・
あれも涙無くては読めなかった
94 :
名無しさん@十一周年 :2011/04/06(水) 12:07:07.46 ID:k+QZm/Pw0
レトルト食品ってのは家から出られない状況下とかならともかく、
避難時に持っていくべき物じゃないよな……。
親が、その辺ごっちゃにしてたんだろう
98 :
名無しさん@十一周年 :2011/04/06(水) 12:07:53.36 ID:X/9FUKfzP
後でなんてもならない人がいたから餓死した人までいたんだろう
しばらくは持ち出した食料でしのぐしかないんだ
津波では車でも逃げ遅れた人がいるんだからどうなるかわからんよ
99 :
名無しさん@十一周年 :2011/04/06(水) 12:08:15.05 ID:IQ8BxIScO
高校の頃、物理の先生が都庁には大量の死体袋が用意されてると言ってた。
あん中に入りたくないな。何十万数と言ってたなあ。
112 :
名無しさん@十一周年 :2011/04/06(水) 12:11:30.00 ID:ew0rlqX/O
身元不明のご遺体リストをみていると、おむつをつけた乳幼児も少なからずいるもんなあ。
これは身元がわかったかただけど、101歳のお年寄りもいるね。
百歳超えてこんな最期をむかえるとは思ってもなかったろうなあ。
南無阿弥陀仏。
128 :
名無しさん@十一周年 :2011/04/06(水) 12:14:15.21 ID:OK7ghNap0
若そうな自衛隊員も言ってたな。自分の子供と同じ位の子供の遺体を救出した時、
ショックすぎて・・・・って。夜に守衛キャンプ戻ってからもずっとうなされたって。
でも、この子はこの荷物が無くてもあの勢いで津波が来たら、逃げられたか分からないよ。
ただ、重かったね、頑張ったね、って事しか言えないと思う。
132 :
名無しさん@十一周年 :2011/04/06(水) 12:15:00.32 ID:KcBzfng60
緊急袋が重かったのくだりは
「袋はきっと重かったろうけどがんばったね」って意味だろう
飲み込まれた原因だなんて取るなよ情けない
162 :
名無しさん@十一周年 :2011/04/06(水) 12:19:57.49 ID:GSv9DPNUi
そういや非常袋に食いもん入れてなかったな
配給があるから良いじゃん、と思ってたが現地はそんなに甘い状況でもないみたいね
188 :
名無しさん@十一周年 :2011/04/06(水) 12:23:39.11 ID:q1smUvAMO
自衛官の方々その他にもボランティアの人皆「被災者の救助」の気持で現地行ったんだと思う…だが死体の数々…
それでも心折れる事無く頑張っている様は敬意や尊敬では表し切れません
206 :
名無しさん@十一周年 :2011/04/06(水) 12:25:40.36 ID:dcMRYT/r0
大切そうに抱えてたってことは、死ぬまで親の言うことを守ろうとしたわけか
210 :
名無しさん@十一周年 :2011/04/06(水) 12:25:57.59 ID:acea8m6K0
レトルトのギューギューに入った袋が
自分の娘に似ているのかと思った
225 :
名無しさん@十一周年 :2011/04/06(水) 12:28:54.82 ID:HYvFqAva0
作家の故吉村昭は、非常時に逃げるときは、何も持たずに逃げろと
繰り返し書いていた。
非常物資を保管する場所は、庭に埋めておくのがよいと。
253 :
名無しさん@十一周年 :2011/04/06(水) 12:35:18.95 ID:etxCHi6h0
考えて見ろよ
竦むくらいに大量の死体
場に満ちる怨嗟と嘆きの声
その中で自分の娘に良く似た死体を見つけドキッとする
「ここにいるわけがない、あれは別人だ」と自分に言い聞かせつつ
震える手で死体を検めると
しっかりとバッグを握り締めている
中から出てきたのは大量のレトルト食品
幼い子が、命を賭して守ろうとしたものは何であったか?
273 :
名無しさん@十一周年 :2011/04/06(水) 12:40:13.32 ID:8X2+NZcR0
その子はきっと親に何かあったらこれをもって逃げるんだよって教えられていて
きちんと守ったんだろうなぁ・・・
だれもこんなひどい津波が来るなんて思ってないからこんな結果になったんだ。
ご冥福をお祈りいたします。
293 :
名無しさん@十一周年 :2011/04/06(水) 12:45:21.59 ID:Mjw/E9rS0
この子はこの子なりに頑張っていたのかなあ。
南無阿弥陀仏…来世でいいこと沢山ありますように…
315 :
名無しさん@十一周年 :2011/04/06(水) 12:54:17.74 ID:WzP6qE+60
食べ物をもって逃げるのは子どもだって大人だって
やるでしょ。あるいは非常食用に、非常袋にいれて
あったかもしれない、お母さんは持つものがいっぱい
ぱいだから、手伝ったのかもしれない。いい子だったのね
323 :
名無しさん@十一周年 :2011/04/06(水) 12:56:56.52 ID:1twFooAj0
あえて言うが、法医学者を舐めて貰っては困る。
100人いようが200人いようが、本当の現場法医学者は冷静に分析する。
皮肉だが、こういうように死因がはっきりしている場合、かなりドライに
判定するが、それをすると日本人はヒステリーを起こすため、是非なく
こういうコメントその他をせざる得ない。
こういうケースよりも一番辛いのは法医学者より、寧ろ現場医だ。
中華航空機墜落事故など忘れている連中が、『沢山』いるだろうが、
こういう時医師達は、助けられる人と助けられない人を瞬時に見て取り
札をつけていく…一番辛い行為で、法医学者もやりたがらない。
後日消防士や自衛隊の一部があの現場の悲惨さに精神科に来たが、
その時の一言「やはり現場医師の先生とは凄いですね」だってさ…
350 :
名無しさん@十一周年 :2011/04/06(水) 13:07:38.20 ID:1tomyRal0
今度の地震のやりきれないところは、早く高台に逃げればほとんどの人は助かった、
という点だ。
三万人の死者のほとんどは、地震直後の3月11日午後3時頃は、まだ生きていた。
津波が来るから早く高いところへ、なんて実感も持っていた人は少数だったはず。
377 :
名無しさん@十一周年 :2011/04/06(水) 13:25:16.50 ID:Wgi1I72W0
今回の教訓として食料を持っていくべきかどうかは悩ましいな。
食料は重くてかさばるから邪魔だが、避難所で食料にありつける保証も無い。
だが、一日二日ならチョコバー程度があればなんとか歩けるので
避難できたなら体力の許す限り都市圏に向かって歩くべきではないかね。
384 :
名無しさん@十一周年 :2011/04/06(水) 13:29:10.94 ID:1ClkziM10
ああ、母の非常持ち出し袋が鬼のように重くなっていて
しかったら、食品が大量にでてきたのを思い出した。
水さえあれば何日か生きられるから、
どちらかと言ったらペットボトルのほうが大事だよね。
398 :
名無しさん@十一周年 :2011/04/06(水) 13:41:49.17 ID:dtsMpM1r0
>>384 もちろん被災の仕方にもよるんだが、
阪神大震災で実家が全壊した人から聞いた話では、ペットボトルは
「清潔な自分用の容器」として、中期的に役立つらしい。
386 :
名無しさん@十一周年 :2011/04/06(水) 13:32:24.81 ID:Bu4SCWizO
100体?もっと多いところは実は幾らでもある。
体育館の隅で棺を組み立てる音が響く。
棺を床に直に置かないように発泡スチロールを敷くが、それが足りない。
その体育館は本来来週の始業式の飾りがされるはずだった。
392 :
名無しさん@十一周年 :2011/04/06(水) 13:35:45.30 ID:NzPBb4Sd0
日航機墜落の時の検死をやったうちの父親よりは
ずっと精神的にもラクな筈
397 :
名無しさん@十一周年 :2011/04/06(水) 13:39:29.38 ID:A3nnEsQK0
>>392 それは…。
ご苦労様だったとしか言いようがないが
こうやって生前の姿を残した子供の遺体なんて一体だけでもつらいと思うぜ
409 :
名無しさん@十一周年 :2011/04/06(水) 13:45:52.49 ID:S8mfMosS0
小さい子って本当に教えられた通りやるからね。
間に合わないと見るや捨てて逃げるって判断できなかったんだね。
かわいそう。
424 :
名無しさん@十一周年 :2011/04/06(水) 13:55:21.60 ID:MEnwXeJH0
>抱えていた緊急持ち出し袋には大量のレトルト食品が詰め込まれていた
お母さんと「危ないときはこれを持って逃げようね」なんて会話してたんだろうか。
なんだか想像しちゃってやりきれなくなるわ。
455 :
名無しさん@十一周年 :2011/04/06(水) 14:16:57.82 ID:t7kFNeSv0
日航機、阪神震災、オウムテロと日本史に残る大惨事を経て、
検死の対応、支援はかなりシステマティックに構築される。
具体的に、看護師の緊急派遣は赤十字をはじめ、被災地の看護師会同士の連帯。
同時に、必要な器機、機材や必需品や消耗品などの手配も即時行われる。
医師会は現場に急行する医師が抜けた病院のフォローまで対応が出来てる。
検死の場合、歯科医も同様だがそれでも過酷な状況であり、人数が足りない時が多い。
被災地より遠方の医師が自ら名乗りでるケースも多々ある。
が、今回の震災は未曽有の規模で、総てが不足状態で、現場の方々の心情を思うと・・・。
もちろん、地元の開業医が避難所でひとり黙々と対応してたり、
被災地の瓦礫の中、大病院で対応されてる方々もだ・・。
461 :
名無しさん@十一周年 :2011/04/06(水) 14:20:40.96 ID:kz5GshIU0
今回の震災でビビって急ごしらえで緊急避難用の防災袋をこしらえたけど、
食料どうするか迷って結局コンパクトさと保存の良さでチョコレート一袋突っ込んどいた
これでダメならどうせ死んでるだろっていう
532 :
名無しさん@十一周年 :2011/04/06(水) 14:48:33.78 ID:/O0NH25K0
逃げ遅れた人のほとんどが通帳とか位牌とか貴重品とか
持ち出そうとした人らしい。
沿岸部は地震きたら即高台に逃げるくらいの気持ちでいないと
やばいね。
これは昔話のように伝説として残さないとな。
また数百年後に地震津波コンボでくるらしいし。
536 :
名無しさん@十一周年 :2011/04/06(水) 14:49:47.77 ID:IXh9QV9I0
レトルト食品を背負ってる時は、落ち着いて歩いて避難してたんだろ。
そこへ予想を上回る大きさと速さで津波が来た。
荷物を持っていようがいまいが、波にのまれた人がほとんだよ。
577 :
名無しさん@十一周年 :2011/04/06(水) 15:06:19.69 ID:LKG63f2uO
幼いながらも、重たい食料離さずに必死で逃げてたんだろうな…。
苦しかっただろうな。
自分の子供と重ねると本当に息が詰まる。
599 :
名無しさん@十一周年 :2011/04/06(水) 15:20:06.99 ID:flcYF6e50
小さな子が、恐怖の最中に、けなげに荷物を持って走ってる姿を想像してみろ
この子が天国で幸せになってますように‥
620 :
名無しさん@十一周年 :2011/04/06(水) 15:41:39.63 ID:tBfrZ/+2O
家流されて絶賛避難中だが
最初の三日間で口にしたのは、ビスケット三枚と水100cc位(雪も食べた)
いずれも家族の持ち出しで、水すら配給なし(もちろん断水)
レトルトなんて未だに食えないぞ!
ポケットに入る菓子とペットボトルで十分
647 :
名無しさん@十一周年 :2011/04/06(水) 16:09:26.56 ID:cjuyvfIG0
この子は教えられたとおりに緊急袋をもって逃げたんだろうけど、
捨てて逃げるという発想もできないほどのスピードと脅威的な津波だったんだろうな。
これからは、「津波てんでんこ」の精神で兎に角逃げるように、
子供たちだけにでも教えていかないとな。
これは、俺ら大人の責任だ。
729 :
名無しさん@十一周年 :2011/04/06(水) 18:20:09.65 ID:LkvwQbP90
子供になんも持たず速攻で逃げろって親は教えておくべきだな
731 :
名無しさん@十一周年 :2011/04/06(水) 18:21:04.91 ID:j29Afjl10
でも避難所で餓死しかけた人もいたんだからその辺は運だよなあ
873 :
名無しさん@十一周年 :2011/04/06(水) 21:58:14.13 ID:0PICOwzq0
この子の為にと親が用意した非常持ち出し袋、避難先でお腹を空かせないようにとの親心
あの時間に家から持ち出したとすると就学前の子供、親の言付けを守って必死に袋を抱えて走ったんだね
何か別の条件が加わったら、この子が目の前に横たわってる事は無かったろうに
無念、ただただ悲しい
893 :
名無しさん@十一周年 :2011/04/06(水) 22:58:59.12 ID:JqFONysc0
みんな、身体ひとつで避難して。
安心してよ。助けるから、同じ日本人だもの。
16年前、神戸を助けてくれたじゃない。
913 :
名無しさん@十一周年 :2011/04/07(木) 00:24:57.09 ID:xQxRBDr4O
ちょっとわからない
袋抱えたまま亡くなって
そのままで袋抱いた状態で
検死にまわされてきたってこと?
915 :
名無しさん@十一周年 :2011/04/07(木) 00:27:36.76 ID:WbRWC1ci0
>>913 衣類、持ち物は基本的にご遺体と一緒にしておく
ご遺族が身内を発見するのに役立つ
やはり、変わり果てた。。。。。。ということになってる場合が多いので
965 :
名無しさん@十一周年 :2011/04/07(木) 01:23:17.41 ID:4Z5oEgmKO
子供なりの責任感で一生懸命だったんだね。
でも死んじゃったら褒めてやれないよ。偉い子だねって言ってやれないよ。
うちにも娘いるから簡単に想像できて胸が潰れそうだ。
994 :
名無しさん@十一周年 :2011/04/07(木) 02:12:49.80 ID:bXTGmKO+0
通帳とハンコ、ケータイと財布
これ持ってダッシュだな。
家族探したりしないで、自分だけ助かることを考えるって教訓も。
マンション12階まで飲み込むって
海抜30mまで逃げないと波に飲まれるとか
そんなの誰も予想できないよな・・・