思い出してホローリくる家族との思い出
名前:
おさかなくわえた名無しさん投稿日: 2001/07/25(水) 21:59
ふと思い出すと、じんわりくる家族との思い出ってありますよね。
ちなみに私は母と兄と三人で近所の公園にプッチンプリンを持って散歩に
行ったことを思い出すとじんわりします。
16 名前:
おさかなくわえた名無しさん投稿日: 2001/07/25(水) 23:11
低学年の時、海水浴をしていて足が届かないところまで(浮き輪をして)
来てしまい、戻れなくなってしまっていたら、兄が手を引いて泳いでくれた。
いつも喧嘩ばっかりしてたので、とても照れくさかったなぁ・・・。
21 名前:
おさかなくわえた名無しさん 投稿日: 2001/07/26(木) 01:19
昔、香り付きの消しゴムがはやったとき、キウイの香りの消しゴムを買った。
が、すぐにクラスで盗難事件に遭い、結局出てこなかった。
ちなみにこのことはクラスで大事件になってしまった(その時一年生)。
とても悔しかったので家に帰って母に泣きながら話した。
数日後、母はコケシの形をした消しゴムを買ってきてくれた。
その時は良い香りもしないし、こんなのかわいくないとか
思ったけど、今考えると泣きそうになる。
22 名前:
おさかなくわえた名無しさん 投稿日: 2001/07/26(木) 01:26
亡くなったママ・・・
いつもレモンティーを一緒に飲んだ。
レモンティーを飲むと涙が出るよ
24 名前:
おさかなくわえた名無しさん 投稿日: 2001/07/26(木) 04:15
母のお葬式の時、斎場で「まま・・まま・・」と私(当時8才)が泣いてたら
横にいた兄(当時11才)が「泣いたら母さんも悲しむ、泣いちゃだめだ・・」
と私を励ましながら自分も涙流してた。すごく印象に残ってる・・・
頼りになるお兄ちゃん、今でも大好きだよ。
26 名前:
おさかなくわえた名無しさん 投稿日: 2001/07/26(木) 04:20
中学に入ったすぐくらいは成績も優秀でまじめだったんだけど、次第に
悪い先輩やら友達やらとつるみ始めたと同時に反抗期がきたようで、
親に対して色々と口汚いことを罵ったりしていた。中2のあるひ、万引き
で捕まって、父は一言も口を聞いてくれず、母は私の部屋を家捜ししていた。
でも、次の日の晩、母が私の部屋にきて「この手が悪かったんだね」と
手をつないでいっしょに寝てくれた。もう絶対に母を悲しませるようなこと
はすまいと堅く心に誓った。涙がいっぱいでた。
31 名前:
おさかなくわえた名無しさん 投稿日: 2001/07/26(木) 14:01
母は私を産む前に2回流産している。
そのことを聞いた3歳くらいの私。
「でも、それで私に会えたんやからええやん」などと
歯の浮くような台詞をいってのけた。
今ならとても言えん。
何か思い出すと、母への感謝の気持ちとともに
ちょっと自分にも感動する。ハズカシ
34 名前:
おさかなくわえた名無しさん 投稿日: 2001/07/26(木) 22:33
小さい時、親の事情で、おばあちゃんの家に預けられていた。
母親が私を置いて帰るとき、5歳の私は壁に向かって
「お母さん、早く迎えに来てね」
と泣きながら小さな声で言っていた。
どうして、母親に向かって言えなかったのか、
それが無理なわがままだと分かっていたからなのかな。
35 名前:
おさかなくわえた名無しさん 投稿日: 2001/07/26(木) 22:56
「あ、今日のハンバーグおいしいー!」
おいしそうに食べる兄 その日は、私が作ったの
その次の日未明に、兄は事故で亡くなった
私高一の春のこと…・
36 名前:
おさかなくわえた名無しさん投稿日: 2001/07/26(木) 23:17
幼稚園の頃、夜どうしても寝つけなかった日があり、
「早く寝なさい」と言われていたので眠れないことに罪悪感を
覚えていたのでしょう。
居間の母親の所に、「眠れない」と泣きながら行きました。
母はビックリしていたけれど、桜餅を出してくれ、2人で
NHKの銀河小説(連続ドラマ?)を見ながら食べました。
すっごく鮮明に覚えています。
41 名前:
おさかなくわえた名無しさん投稿日: 2001/07/27(金) 02:33
小学5年くらいかな。
ソファの父親にいつもみたいに「お膝においで、だっこしよう」と言われたとき、
急に恥ずかしくて「やらしいなエロじじい!」とか?叫んでしまった。
冗談のつもりだったのに居間の空気が凍ってしまって、そのあと父親がグウの手で涙をぬぐった
母親がとりなしてくれたけど、父親を泣かせたショックは大きかった。
ゴメンネ・・
大人になった今思えば子供時代決別の瞬間だったな・・
42 名前:
おさかなくわえた名無しさん投稿日: 2001/07/27(金) 02:37
婆ちゃんがお年玉くれたとき「袋は要らない」と言って、礼も言わず目の前で
袋だけポイってやったとき婆ちゃんは泣きそうな顔したネ。
まいったネこりゃ
46 名前:
おさかなくわえた名無しさん投稿日: 2001/07/27(金) 03:47
中学生の時、母と大掃除をしてたら母が初給料で、自分の為に買ったとゆう指輪が出てきた。
デザインも古く、安物のちっぽけな指輪だった。
母は3人兄弟の長女で中2の時に父親を亡くし、祖母と一緒に家計を支える為に高校進学も諦め、卒業と同時に東京に働きに出るしかなかった。
安給料の中から半分以上は仕送りをした。
自分の為に唯一買ったのがこのオモチャのような指輪。
母の苦労を思って、大泣きしてしまった。
母はビックリしてたけど黙って頭をずっと撫でてくれてた。
なのに高校の時、財布から金抜きとってばっかいてゴメン
47 名前:
おさかなくわえた名無しさん 投稿日: 2001/07/27(金) 04:12
>>46 こんなに感激しても財布から金を抜き取る・・
親になるって大変ネーー・・
56 名前:
おさかなくわえた名無しさん投稿日: 2001/07/27(金) 09:38
私「ねえねえ今まで私があげたプレゼントの中で一番嬉しかったのって何」
母「んーそーだねー。アンタが5歳くらいのときに、野っ原から花つんできて、
お母さんおたんじょうびおめでとうってくれたヤツかなー」
今はまだ学生で親不孝してるけど、ごめんよ母ちゃん。
100万倍にして借りは返すぜ。
57 名前:
おさかなくわえた名無しさん 投稿日: 2001/07/27(金) 09:56
5-6才の頃、自転車売りのお豆腐やさんにお使いで買いに行き、
帰り道、転んでボウルに入れた豆腐を道にぶちまけてしまった。
グチャグチャになった豆腐をかき集めてボウルに戻し、
「絶対怒られる」と思い泣きながら家に帰った。
けれど母は泣き顔の私と豆腐を見て
「あら、これじゃダメねぇ。。」と言っただけで一言も怒らなかった。
普段はヒステリーで怒ってばかりいた母だったので意外だった。
今もそれを思い出すと何故か泣きたくなる。
58 名前:
おさかなくわえた名無しさん投稿日: 2001/07/27(金) 10:04
父が死んでしまう日の前日、それも意識が混濁する寸前に、ベッドに横たわった
ままの姿勢で母と兄と私の頭を一度に抱いてくれたこと。
「こんな病気ばっかりの俺によくついて来てくれたな」と。
やべ、会社なのに涙出てきた~
61 名前:
おさかなくわえた名無しさん投稿日: 2001/07/27(金) 12:22
消防の頃、私が父のパソコンで遊んでたら、突然「バチッ!!!」
と音がして、画面がフリーズし、薬品臭が漂った。
怖くなってスイッチ切って避難したんだけど、子供心にパソコンは
決して安くないって分かってたから「叱られる、絶対叱られる」って
思って覚悟してた。普段から私に非がないことでも怒って殴るような
父だったから。
でも、その事を父に言ったら、別に全く怒らないで
「おまえに何もなくてよかった」と言っただけなので、拍子抜けして
ちょっと目が潤んでしまった。
67 名前:
おさかなくわえた名無しさん投稿日: 2001/07/27(金) 16:58
友人の話。
友人はその時のことは覚えていないそうだが、彼が3才の頃、
家の前でみんなで遊んでいた所自動車事故にあったんだそうな。
足をダイレクトに轢かれた彼はその場に倒れて気絶してしまったそうなのだが、
その時彼を介抱した近所のおばちゃんによるとあわてて降りて来た運転手に向って彼の姉(当時6才)が
「弟を返せ!返せ!!ばかーばかぁ!!!」と大人もびびる凄い剣幕で泣きながらくってかかったんだそうな。
彼いわく、「その話を聞いた時から姉ちゃんにだけは頭あがんねぇ」だそうな。
75 名前:
おさかなくわえた名無しさん 投稿日: 2001/07/27(金) 19:41
結婚当初は凄く貧乏で、私の実家の両親(別に裕福でもない、ごく一般的な家)が
しょっちゅう車で食料や家庭用品、お金の援助をしてくれた。
阪神大震災の時は、体育館に避難して2日後、実家の父と弟が片道6時間かけて
歩いて迎えに来てくれた。
今年のお正月、父親と2人で話をした時、父親が自分自身は末期癌なのに、
「体には気をつけろよ、あんまり無理すんなよ」と励ましてくれた。
など諸々思い出す度に泣いてる。
親孝行はしてもしてもし足りないくらいにしても罰は当たらない。
(一概にそうだと言えない例もあるが)
生きてるうちは「ありがとう」って言えないけど、死んでから言っても遅い。
感謝の気持ちはずっとあったけど、伝わってたかどうか。今じゃ分かんないしな。
77 名前:
おさかなくわえた名無しさん 投稿日: 2001/07/28(土) 00:41
お正月に家族が集まったときに。
父親が私にかずのこを食え食えとうるさくしていた。
なまものは苦手な私がキレて「しつこい!いらないっていってるでしょー!!」
と怒鳴ったら、弟がとても静かに、
「お前が食えばパパが嬉しいんだから、一口食えよ」と言った。
その雰囲気に圧倒されて父親の箸からぱくりと食べてしまった。
・・・結婚していつのまにかオトナになっていたバカ弟に・・ショック・・。
父親も、弟に庇われてちょっと言葉を失っていた・・。
81 名前:
81 投稿日: 2001/07/28(土) 01:32
小さい頃から子供にあまりかまわなかった父。
悪い人ではなかったが、自分の気の向いたときしか相手にしなかった。
3年前、私が眼の上の手術をしたとき、手術の日だけ一人でお見舞いに来てた。
手術後で私の顔が腫れているのを見てすごく狼狽して
「お父さんが代わりに手術を受ければよかったね。」
と言ってた。普段はそんなことを言わない人だったからびっくりした。
後でお母さんに聞くとその日だけは自分が行く!と譲らなかったそうだ。
普通の家のお父さんだったら普通に言うことかもしれないけど。
なんで死んだのよ。
82 名前:
81 投稿日: 2001/07/28(土) 01:39
お母さんのことが好きで好きでたまらなかったお父さん。
ずっと「お母さんとハワイに行くのが僕の夢」と言ってた。
が、家が自営業なので、二人で旅行に行くとなったら店を閉めなければならず、
それが嫌で行くのをためらっていたらしい。
去年私が「店はあたしが出来るけん、来年の春にでも元気なうちに行っとき。」と言ったら
すごくうれしそうに「本当にいいと?」と何度も聞いてきた。
今年の冬、いきなり倒れて帰らぬ人となった。
今となってはもっと早く行かせとけばよかったとそればかり悔やまれる。
来年、お母さんと私とお父さんの骨とお父さんが大好きだったハワイに行こうと思う。
94 名前:
おさかなくわえた名無しさん投稿日: 2001/07/28(土) 16:58
小学校2年くらいの時、母と弟と三人で寝ていたら
何でもない日なのに弟が抱っこしてもらっていた。
うらやましかったので近くにいったらぎゅっとしてくれた。
子供が急にかわいく思えた瞬間ってやつだったのかなと今思う。
95 名前:
おさかなくわえた名無しさん 投稿日: 2001/07/28(土) 18:22
高校生の時、悪戯電話がかかってきて私が隣町の車通りの多い道でカーセックス
をやってて有名になっているとか、いろいろなありもしない事を言われたらしく、
電話を取った母親がそれを間に受けて「あんた!正直に言いなさい!」と半狂乱
になって私を問い詰めた。私はただショックのあまり「そんな事してないよぅ」と
メソメソ泣く事しかできずにいたら、いつも喧嘩ばかりしている姉が「XXX(私の名前)
がそんな事する訳無いじゃない!親が子供を信用できなくてどうすんのよ!」と
大泣きしながら母親を叱咤し、かばってくれた。
97 名前:
ヨシヒロ投稿日: 2001/07/28(土) 20:31
保育園の時です。
ちょっと貧乏だった私の家は、共働きでした。
保育園は3時に終わるのですが、親が仕事などで迎えに来れない子は
保育園が延長保育で見てくれていました。
私を含め、10人くらいいました。
みんなで運動場でゲームをやったり、遊具に乗ったりして、迎えが来るまで過ごすのですが、
夕方になるにつれ、だんだん迎えがきて
最後は私と2人の先生だけになりました。
私は子供心に
「私だけまだ居て、先生に悪いなぁー」とか
「もう、母さんこないのかなぁ」とか、考えてました。
なんだか寂しくなってきたころ、ふと外を見ると・・・
98 名前:
ヨシヒロ投稿日: 2001/07/28(土) 20:32
「ヨシーっ!ヨ~~~~~シっ!」
夕焼けで真っ赤に染まった道路の向こうから、
母が自転車に乗ってやってきました。私の名を呼んでいます。
あの時の母の呼び声と、夕焼けの赤さと、先生の優しい顔が
脳裏に焼き付いてます。
その光景を思い出すと、なんだか涙ぐんでしまいます。
ただの日常的な光景なのにね・・・
126 名前:
おさかなくわえた名無しさん 投稿日: 2001/07/29(日) 14:06
おれ、一浪して、第一志望の大学に受かって、
入学のてつずき、おやにまかせてたのね、
オレも親も、浮かれていたら、期限が過ぎちゃってて、
母親が泣きそうになって、大学にいけなくなっちゃったよって。
父親も、風呂から、飛び出してきて、
三人で、暗くなってた。
オレは、なぜだか、全然怒る気もなく
母親に、「いいよ、働くから。」
っていって、父親が、翌日、大学にお願いに行くって話になって。
すごいあの時は、一体感があった。
翌日父親が、大学に行ったら、ほんと、土下座して、おねがいしてくれたらしく
反省文書いて、オッケイということになった。
おれもいっしょにおねがいにいくっていったら、
「いい、ひとりで行く。」といった父親。
泣きながら、土下座してくれたとは思わなくて、
なんか、すごい感謝してる。
それにつけて、姉の結婚式が近かったから、
さらに悲壮感が漂ってた、
今でもその話は、姉には、内緒。
たぶん母親も、ちょっと寿命が、みじかくなったかもな。
ほんと、なきそうだった。
あのことを思い出すと、
大学生活無駄にはしちゃいけないと思えるね。
いまでは、「うるさい!!」
とかおやにたいしていっちゃうんだけどね。
文章力なくてごめんね。
138 名前:
おさかなくわえた名無しさん 投稿日: 2001/07/30(月) 03:37
うちのじいちゃんはひよこまんじゅうが好きで、昔それを持って映画に
連れて行ってくれたことがあった。
先日病院にお見舞いに行った時に、ひよこを持っていったらとても
おいしそうに食べてくれた。
88歳で呆け気味で、私のことも思い出すのに時間がかかるみたい
だけど、嬉しかったなー。
これからお見舞いのたびにひよこを持っていこうと思ったよ・・・。
139 名前:
おさかなくわえた名無しさん 投稿日: 2001/07/30(月) 03:47
うちは貧乏だった。
消防のとき運動靴を買ってもらった 欲しくて欲しくてねだってやっと。
その後喫茶店でジュースを飲んだら、その店に買ってもらった靴を
忘れてしまった。
あわてて戻ったらもう無かった
私も泣いたが、お母さんはもっと悔しそうだった。
もう一つ買う余裕は無かったみたい。
ごめんね、お母さん。
140 名前:
おさかなくわえた名無しさん投稿日: 2001/07/30(月) 04:24
中学生の頃、夏休みに自分で一週間の少年キャンプに申し込んで
参加した。結構スパルタっぽいとこだったんだけど
なんだか自分を鍛えたかったから。
両親は離婚してたので母とは別居してたのだけど
その母が終了日の解散場所に1時間半かけて迎えに来て
嬉しそうに手を振ってた。
「最後まで一人で成し遂げたかった」自分は
「なんで迎えに来たの、一人で帰りたかったのに!」とムクれ
帰り道、口をきかなかった。母は「そんな事言ったってお前・・」と
泣きそうな顔して「ごめんね」と呟いてた。
あの時はせっかく迎えに来てくれたのに
ヒドい事言ってゴメン。反省してる。
157 名前:
おさかなくわえた名無しさん 投稿日: 2001/08/01(水) 01:05
うちの母、青森出身。小学1年の時に、
母にみてもらいながら「青」の漢字書き取り練習してた。
母は「青」のあとに「森」を書いて
「これで”青森”っていう字になるのよ。ちょっと難しいかもね」と笑った。
中卒で東京に出てきて苦労した母、きっと故郷を思い出していたのだろう。
その時のなんとなく遠くを見るような目をしてた母に、子供心にも何かを感じて
その時の場面は「青森」という漢字と共に鮮明に記憶に残っている。
160 名前:
おさかなくわえた名無しさん 投稿日: 2001/08/01(水) 02:28
小学生の頃、お誕生会をしたんだけど、友達へのおみやげに、母親が
巾着を作ってくれた。
見栄っ張りな子供だったんで、ねだって作ってもらったんだけど、
私のお母さんはこんなの作れるんだよ、みたいなかんじで鼻が高かったな。
ありがとう。
162 名前:
おさかなくわえた名無しさん 投稿日: 2001/08/02(木) 02:00
現在の私からは想像できないくらい内気で大人しかった小学生の頃。
雪が降る下校途中、履いていた長靴に雪が入り立ったまま脱いで雪を
払っていた。そしたら通りかかった近所のいじめっこ二人組(男)に
脱いで置いていた長靴を蹴飛ばされ何メートルか滑っていってしまった。
半べそかき、けんけんしながら取りに行った。
そこに一つ年上の姉が通りかかった。事情を聞いた姉はダッシュでいじめっこを
追いかけ、家に逃げ込んだ彼らに「うちの○○をいじめやがって!!!」と
怒鳴ったらしい。それからいじめられることはなくなった。
何年か経っていじめっ子だった1人と話をする機会があった。
「お前の姉ちゃん、恐かった…」
つい最近この話を姉にしてみたが、私には大事な思い出なのに
本人すっかり忘れていた…。そんなところも大好きだ。
163 名前:
おさかなくわえた名無しさん 投稿日: 2001/08/02(木) 19:08
二十歳ぐらいの時、離婚して別居してた母に会い、出かけた。
雑踏でちょっと離れた時に母は小学生ぐらいの女の子の後姿に向かって
「○○(私の名前)ちゃん、こっちよ!」と呼びかけた。
一瞬で間違いに気づき、ビックリしてる私を見て
「アラ、間違えちゃったわ、お前にそっくりだったから」と照れくさそうに言った。
その女の子の後姿はちょうど両親が離婚した頃の私に似てた。
母の記憶の中で私の姿はその年齢で止まっていたのかもしれない。
私も一瞬、その子の姿に自分がダブり
タイムスリップしたような不思議な感覚がした。
164 名前:
おさかなくわえた名無しさん 投稿日: 2001/08/02(木) 23:42
>>163 なんて言うのかよくわからんけど、ホロッときた。
ずっとずっと胸の中で「私の娘。私の娘。」って大事に思ってたんだろね。
そんなわけないのに、何の疑問ももたず小学生に呼びかけちゃうくらい、
最後に見たあなたの姿を大事に大事に何度も何度も
思い浮かべてたんだろうね。
172 名前:
おさかなくわえた名無しさん 投稿日: 2001/08/05(日) 01:54
私がアメリカに留学してた時、両親と祖母が遊びに来た。
英語圏でキンチョー気味の両親よりも90近い祖母の方が
いろんなものに興味を示し外人にも臆する事ないのに驚いた。
その祖母が帰国間近になって私に「英語を教えてくれ」と言う。
私が教えた簡単な挨拶、会話を手帳に書きとめ
「天国でおじいさんに会ったら”ハロー”って言って驚かせてやるんだ」と
子供みたいに悪戯っぽく笑った。
なんだか感激して祖母達が帰国後、子供向け英語教材本を買って送った。
その祖母も去年95歳で大往生。
おばあちゃん、天国でおじいちゃんに「ハロー」って言って
驚かす事できたかな。
じいちゃんが逝く直前に
他に親族は居たんだけど
俺に向かって
「頼んだぞ!」って
すっげー期待でかすぎるけど
頑張るよ、爺ちゃんw