先生にまつわる怖い話8 名前: あなたのうしろに名無しさんが・・・ 投稿日: 2001/06/06(水) 16:33
小学1年の時のクラス担任Y先生(女)の話。
とにかくヒステリーでいつもキンキン怒鳴ってる印象しかない先生だ。
特に彼女は、ちょっとグズでだらしないS崎クンが嫌いだった。
S崎クンは毎日のように忘れ物をしてくる。
忘れ物をした子は帰りの会(ホームルームのようなもの)でさらし者に
されるのが決まりだったが、S崎クンはそれの常連だった。
ある日、S崎クンが給食用で使うお箸を忘れてきた。
それをY先生に言いにいったところ、彼女は
「なんでお前はそうなんだ!」
といきなり横っ面を張り飛ばした。ぶった、という程度じゃなく、大柄な
S崎クンがよろめいて倒れるほど強く、だ。
S崎クンがベソをかきながら立ち上がると、襟をつかんでもう一発殴った。
今度は鼻血が出た。
そこへS崎クンの隣の席の女の子が「S崎クン、バッグの中にお箸入ってるよ」
と言いに来た。その言葉どおり、彼のバッグの中にはちゃんとお箸が
入っていたのだ。
するとY先生は謝るわけでもなく、真っ赤に腫れた自分の掌を
S崎クンの顔に押し付け、
「お前をぶったおかげで先生の手が痛くなったじゃないか!これも全部
お前がバカだからだ!先生の痛みを返せ!」
と怒鳴るではないか。
これにはクラス全員が唖然とした。
S崎クンはどうしていいかわからず、先生の手をさすろうとした。
が、Y先生はそれを押しのけ、
「汚い!触るな!」
とわめき散らした。
その日の帰りの会、S崎くんは忘れ物がなかったにも関わらず
さらし者にされた。
先生=人格者でないことを、小学1年にして学んでしまった。 11 名前: あなたのうしろに名無しさんが・・・ 投稿日: 2001/06/06(水) 16:50
高校の英語の先生は、もうちょっとでお爺ちゃんな年令でした。
発音は誰が聞いても下手くそで、カタカナ英語でした。
怒りっぽく、すぐに大声(っていうか叫び声)を出すのですが、
全く怖く無いので皆になめられ、その先生の授業中は私語が絶えませんでした。
そんな授業が続いていたある日、自習にするから、と先生が教室を
出ていきました。皆大人しく自習をするはずもなく騒いでいたのですが、
次第に話題がその先生のことになって行き、誰かが「あのじじい」と言った
その瞬間、ものすごい叫び声が上から降ってきました。
皆驚いて声のした方を見ると、教室の後ろの入り口の上にあるガラス窓
が開いていて、そこに先生の顔がありました。
みんな「キャーーー!」とか悲鳴を上げてもっとうるさくなって
となりのクラスの怖い先生に叱られました。
おしまい。 18 名前: あなたのうしろに名無しさんが・・・ 投稿日: 2001/06/06(水) 17:42
小学校の時の先生。女、確か40才くらい。
かなり(金銭的に)良い家庭環境で育って良い家に嫁入りしたらしいんだけど、
品性のカケラも感じさせない見た目と性格だった。
お笑いの松村をもっと凶悪そうな顔にしておかっぱのカツラかぶせた様なカンジ。
ヒステリーで、一度目をつけた生徒には、どう考えても言い掛かりとしか思えない
理由をつけて毎日放課後呼び出して説教三昧。
でも一番嫌だったのはある日の授業中、雑談交じりに言った
「貧乏な家の子っていうのは、顔にでるのよね。卑屈な顔になるのよ」って言葉。
てめー、どのツラさげて人様の顔の事言えんじゃ、ゴルァ!!って
今なら思うけど、当時貧乏で純真な子供だった私にはものすごくトラウマになった。
別に怖くない話だね、ゴメン…
でも今でも忘れられないくらい許せない。
21 名前: あなたのうしろに名無しさんが・・・ 投稿日: 2001/06/06(水) 17:57
小学校に勤める友達(女性)に聞いた話です。
彼女の学校には「青木」という当時42歳の独身男性がいたそうです。
彼は、やたらと遅くまで学校に残っているそうで、勤務表を見ると、
いつも深夜12時とか、さらに遅いときには午前3時ということもあったとのこと。
だからといって、教材研究をしているわけでもないようで、授業の評判がよいと
か子供の評判がよいとかということも無かったようです。
そんな或る日、彼女はカギ当番のため、朝一に出勤したところ、自分の椅子の
布製の黄色いクッションに黒っぽい手形がありました。
なにこれ~!と半分怒り、ふと隣の主任先生の席を見てみると、同じように
汚れたような手形が...。なんじゃこりゃと、職員室中の椅子を見て回ると、
薄い濃いはあるにしろ、全ての椅子に手形が押してあったそうです。
手の大きさから大人の男性だろうと判断した彼女は、ふと昨日の最終退出者を
確認したところ、案の定、午前1時の青木でした。
青木の椅子にも手形があったので、本当に彼かどうかはわからなかったらしい
ですが、仲間の間ではいまだに、あれは絶対青木だと語り草になっているそうです。
そんな青木も、45歳にして30歳の若い奥さんをもらったのだということです。 24 名前: あなたのうしろに名無しさんが・・・ 投稿日: 2001/06/06(水) 18:11
>>21
嫁さんをもらうためのおまじないだったりして、
もしくは嫁さんを魔界から紹介するための儀式とか(ワラ 25 名前: 五十嵐 投稿日: 2001/06/06(水) 18:14
手形って・・・一体何をしていたんじゃよ。 26 名前: あなたのうしろに名無しさんが・・・ 投稿日: 2001/06/06(水) 18:15
自業自得もはいったお話。
その当時まだ牛乳はまだ瓶でした、さらに一クラス30~40人前後
のクラスなので牛乳を持ってくる当番が一番の重労働でした。
さらに古い学校なので、無計画な増改築で給食室から部屋まで結構
距離もありました。
私は牛乳嫌いの子から牛乳をもらってました、結構いるんですよね。
んで、日常化してたので、3~4本は毎日もらってました。
少なくとも牛乳をいらない子から承諾を得てもらってたので
人様から奪うようなことはしてませんでした、ええ。
そんである日のこと牛乳が足りないということがおきました。
いただきます、をしてさぁ食べようかという時にそれが判明して
(ほんとなら、牛乳の当番が配ってる時点で本数に気づくような
感じもしますがその部分がすっ飛んで、いただきますになっていた)
それで牛乳が足りないからおまえ(私の事ね)のを分けろと先生は言いました。
今でなら、ああそうか、で足りないと言っているクラスメイトに
もらった牛乳を分けてあげれば収まるし、当然そうするんですが、
当時の私はまぁアレだから渋ってしまいました。
その瞬間烈火のごとく怒りまくった男性教師に思いっきりボコられました。
ミソクソに怒鳴られました、言い訳するまもなく。いわく豚とか何とか貶されながら。
泣きました、ベソかきましたクラスメイト全員のいる前で。
竿の根元やら袋に毛が生えてくるような微妙な年頃にです、ええ。
続きます。 27 名前: あなたのうしろに名無しさんが・・・ 投稿日: 2001/06/06(水) 18:18
続きです。
そんなこんなで自分自身のミスも理解してはいますが、
そもそも、給食の当番が牛乳を教室に持ってきた時点でかなり
入っている本数が少なかったのを始まる前に見かけてい私は
本数のことを気にしてはいたのですが、瞬間的にボコられたので
気の利いた言い訳も何もできず為されるがママでした。
なにせ身長140位の女の子が軽々とあの重たいはずの牛乳を運んできたんだから。
本当なら中身の入った牛乳が20本近くだと鬼のようにおもいはずです。
それに私は好んで牛乳を運んでたから重さは十分理解している。
(当時の映画 小林寺第36房 の影響)
が、もともとの本数なんかだぁれも触れないし、当番の子だって
もともと本数なんかについては言わず、その場は牛乳を独り占めした
薄汚い豚(私)の見苦しい虐待ショーと成り果てました。
昼時に情けないもの見せてしまってごめんよぅ、みんな。
怖い話というか、何よりもまず先に手の出る人間が教師になるんだんぁと
そして欲ばるとろくな目にあわないという両方を子供心に文字とうり痛いほど
身にしみたお話でした。
あの時、男性教師はキレたのか教育的指導だったのか未だに判然としません。
さらに言えばボコれられるだけボコられて、なぁんで牛乳が足りなかったのかの
原因の解明も何もしませんでした(生徒も教師も)。
まぁすべからく私が欲張ったで完結してたんでしょうが。
今なら給食が終わった後にでも全体の本数の確認とかして、証拠をつきとめるん
だけどねぇ。 30 名前: 667 投稿日: 2001/06/06(水) 18:31
小学生のときの担任、シマタニ(実名)の話。
シマタニは定年近いおばさん教師で、
とにかく公私混同ぶりが凄まじかった。
その頃、高校生のグループが
浮浪者をリンチして殺すという事件があったのだが、
そのネタに興味津々の彼女は
授業中ずっと教室のテレビでワイドショーを見ていた。
生徒がお喋りをすると、必ず授業を中断して
「中国とアメリカの子供の話」をする。
シマタニいわく、
「中国では先生が話をしている時、子供は身動き一つせずに
話を聞きます。アメリカでは、みんなだらしなく
教室でガムを噛みながら先生の話を聞きます。
皆さんはどっちの子供になりたいですかあ?
どっちですかあ?さあ、どっちですかああああ?」
と俺達を追い詰めた。
今の自分ならば、反論のしようがいくらでもあるのに
と思うと、悔しくて今でも腹が立つ。
運動会の練習のときには、小学生に向かって、
「服従という言葉があります。
子供は先生に服従しなければいけません。絶対服従です」
と言い放った。
思うに、彼女は戦前の教育を受けた世代で、
若い戦後世代の教師達からも
かなりうざがられていたような気がする。
シマタニネタはまだある。
彼女は、相手が子供と思ってか、教室で平気で服を着替えるのだ。
女を捨てたシマタニは、汚い老体をさらけ出して
教室で着替えをし、その度に俺達は目を背けていた。
それと、ティッシュペーパーに唾液を垂らして教卓を拭くという
嫌な癖の持ち主でもあった。その机の臭いの何の。
今思い出しても頭に来る。
シマタニ、今まだ生きてるのかなあ。